日本語 English
MKPエンジニアリング合同会社

海外出張エピソード《No.5》弾丸ビジネストリップ! ~欧州 6 か国(フランス、ベルギー、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、イギリス)~

弾丸ビジネストリップ! ~欧州 6 か国(フランス、ベルギー、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、イギリス)~

11 日で 6 か国を回る出張。1995 年のゴールデンウィーク GW 時。37 歳の時。

1994 年 10 月に契約したパキスタンの JPG(Japan Power Generation)向のディーゼル パワープラントは客先側のゴタゴタなどがあり、結局KOM(キックオフミーティング)は 1995 年 3 月に実施となりました。このプラントは 18KU30A ディーゼルエンジンが 24 台 在るという大型プラントでした。MHI としては、設計を進めており、いろいろな補機に ついての引合・見積などを入手していました。時期的に円高に推移していたこともあり、 海外のメーカーからも色々見積を入手して国内メーカーと比較をしていましたが、 海外メーカーの見積は魅力的なものでした。

KOM 後は愈々詳細設計を進める必要があり、補機の選定をして資料を入手しなければ なりませんでした。特に大物の機器としては清浄機があり燃料用および潤滑油用があり、 燃料に Na(ナトリウム)分が多いということから Na を除去して清浄機に掛ける必要が ありました。エンジン 24 台の燃料消費分となるので、大型のタイプを数台装備する必要が ありました。また潤滑油清浄機はエンジン個々に装備するので 24 台必要で、トータル 金額は億単位となります。清浄機メーカーは世界には主に 3 社があり、Alpha Laval (スウェーデン)、Westfalia(ドイツ)、三菱化工機でしたが、当時 Na 分を除去 できるのは前者 2 社でした。

また、大型機器として冷却塔がありました。エンジン 24 台を纏めて冷却するような 大型のものを引合しましたが、Hamon(ベルギー)、Marley(イギリス)の 2 社でした。 更に熱交換器として海外メーカーの Sondex(デンマーク)から引合をしました。

4 月には各メーカーの見積を入手していましたが、実際に工場で物をみて技術的な確認を する必要があるということで、4 月後半から日本はゴールデンウィークに入ることもあり、 その時期に上述の各メーカーを回って打合せおよび工場の調査をするのがよいという ことで一人で出張することとなりました。出張に当たっては、どのような順番で回るのが 効率的かとか、相手の会社の都合なども確認し、また旅行会社にフライトの繋がりなどを 聞きながらスケジュールを個人的に計画していきました。宿泊先のホテルの手配はMHI のロンドン事務所の購買担当の方にお願いしました。問題となるのは空港に 着いてからの足でした。事前に到着便や停まるホテルを相手の会社に連絡しておいて 迎えにきてもらったりしました。当時は今みたいに携帯はなく、メールのやりとりなども なかったので FAX を使ったり、日本に在る海外メーカーの代理店に事前に連絡したりして 対応をお願いしました。

愈々出発の日がきました。1995 年 4 月 23 日(日)タクシーを呼んで自宅から横浜駅 まで行き、成田エクスプレス(NEX)に乗りました。途中強風によりビニールが架線に 掛かったということで NEX は千葉に入った当りで停車してしまいました。通常であれば、 NEX では横浜から成田まで 90 分程度で 10:00 ころには成田に着く予定で、出発便は 12:00 発だったので余裕で間に合うと思っていましたが、結構時間が経っても動きません。 隣に座っていたお婆さんも不安そうで、初めて飛行機に乗るのに間に合わなかったら どうしようと言っていました。こちらも焦ってきたところ、30 分程停車していた後に 動き出して成田には 10:30 頃に到着して事なきを得ました。出だしからトラブル発生で この一人旅は大丈夫だろうかと一抹の不安を覚えました。

成田発パリ着のエールフランス便 AF275 で日本を発ちました。パリは日本との時差は 8 時間で夕方にシャルルドゴール空港についてその日は空港からタクシーを拾って ホテル(Blanche Fontaine)へ行きました。翌日 24 日(月)にはホテルに Hamon の 迎えの方がきてくれて、車で工場(パリより南方で車で 2 時間程)まで連れていって くれました。

工場にて打合せ、見学をした後、レストランで遅い昼食をご馳走になり、 そのまま車で陸路ベルギーのブリュッセルのホテル(Agenda)まで送ってくれました。
約 3 時間のドライブでしたが暗くなりつつあって景色はあまり見ることはできません でした。ホテルに到着後は、Hamon の方と外に出て石畳の坂道を上がっていく途中の レストランへ入りました。ベルギービールを飲みながらムール貝の料理を食べてご馳走に なり最高の気分になってホテルに帰りました。

翌日 25 日(火)もホテルに迎えにきてくれて、Hamon の本社へ案内されました。 本社で打合せをして冷却塔の話を聞くとコンクリート製のもので現地にて製作するという ことで、今までの冷却塔とは全然違うもので非常に興味深いものでした。 夕刻のフライトに乗る予定だったので Hamon 本社から車でブリュッセル空港まで 送ってもらいました。

スカンジナビア航空の SK1952 便に乗ってスウェーデンのストックホルム空港に 向いました。空港に着くと翌日に訪問予定の Alpha Laval 社が手配してくれた タクシーが待っていてくれました。空港からホテル(Hasselhacken)までは 20 分程度 でしたが、ストックホルムは起伏のある街で白樺の林の中を通っていき街は整然と しているという印象が残りました。19:30 過ぎにホテルにチェックイン後、Alpha Laval からの招待でレストランで夕食を摂ることとなりました。非常に北欧の雰囲気がある レストランに入ると 2 名が待っていて迎えに来た人と含め 3 名で歓待してくれました。 話した内容は覚えていませんが、多分日本に関する質問に色々答えていたと思います。 食事の最後には四角錘の形をして中に彫り物のあるガラス工芸品をお土産で頂きました。 (非常に歓待して頂いたのだが、最終的にはライバル社へ発注しこの Alpha Laval への発 注はなく申し訳なかった)

翌日 26 日(水)には車で出迎えしてもらい、Alpha Laval 本社を訪問しました。 この本社では製品説明を受けた後、工場内の実際の製品の見学をしました。非常に大きな 工場で製作工程だけでなく、研究所での研究内容についても紹介を受け、流石世界一の 清浄機メーカーと感心しました。次の日はデンマークの田舎にある Sondex 社を訪問予定 だったので、その日の内にデンマークの首都であるコペンハーゲンに移動する必要が ありました。夕刻に Alpha Laval の車でストックホルム空港(本社からは約 40km)に 送ってもらい、SK425 便に乗ってコペンハーゲンへ行きました。1 時間程のフライトで 直ぐに到着した感じでした。到着時は既に暗くなっていて空港からタクシーを拾って ホテル(RARISSON SAS SCANDINAVIA)へ行きましたが、湾岸や夜景が非常に きれいでした。 実はこのホテルの予約は前日まで取れていなくて、ストックホルムのホテルから MHIロンドン事務所の担当に電話して当日取れたことを確認して行ったのでした。 非常にスリリングな感じがしました。ホテルは非常に高級感があり、きれいなホテルでした。

折角コペンハーゲンに来たのだから街中を散策したい気分でしたが、ホテルに着いたのが 遅く、レポートを日本へ FAX する必要があったので、断念してルームサービスを取って 夕食を食べました。疲れていたことと次の日は 8:25 にコペンハーゲン空港発の フライトだったこともあり、そのまま寝たのでした。

このホテルは 1 泊 2 万円以上と高額でしたが、MHI ロンドンの方が漸く見つけて くれたので致し方ありませんでしたが、夜着いて寝て朝早く出て行ったので、全然値段分を 取り返すことはできなく残念でした。

27 日(木)はホテルからタクシーでコペンハーゲン空港(約 10km)へ行って、 国内便 DM301 に乗りました。目的地は ODENSE という街でデンマーク第 3 の都市との ことですが、飛行機は十数人乗りと思える小さなもので操縦士と CA が一人のみで、 大きなスーツケースとビジネス用バッグを持って乗り込んだのは申し訳ないような気分が しました。それまでは大型の旅客機だったのでなんとなく拍子抜けしたような、 でも面白い感じでコペンハーゲンからオデンセまで 30 分程のフライトで外の景色を 遊覧飛行のような感じで眺めました。オデンセの空港に着いて飛行機のタラップを 降りると田舎の香水の歓迎を受けました。周りには草が生えていて近くで牛の飼育を しているのではないかと思いました。
空港からはタクシーを拾って次の訪問先の Sondex 社へ行きました。地理感覚が 判らなかったのでタクシーに Sondex 社の住所を伝えて行ってもらいました。時間は1 時間ほど掛かり、金額は 12000 円ほどしたので結構空港からは遠かったようです。 全くの知らない土地なので致し方なしです。Sondex 社は小さな町工場という感じで、 他の大きな会社のような出迎えなどは期待できませんでした。Sondex 社は ひょんなことから知った会社で引合をしてみると意外に安い見積だったので工場を調査 して打合せをして問題ないことを確認できたら発注しようと思っていた会社でした。

実際に現場を見て十分評価ができたことからその場でネゴ金額まで決めて MOM (打合せメモ)を作成して残してきました。午前 10 時から午後 5 時までかかりました。 その後帰る段になったら対応してくれたマネージャーが近くの駅まで車で送ってくれて そこから電車で 50 分ほど乗ってオデンセの駅まで着いて、そこからタクシーで ホテル(City Hotel Odense)に漸く着きました。電車で移動したほどなのでタクシーで 高額になるのは納得しました。ホテルはアットホーム的なこぢんまりとした日本の 民宿のような感じでした。オデンセの街並みは石畳の道で個々の家は赤や黄などの 様々な色をしたマッチ箱のような形でアンデルセンのグリム童話の世界に迷い込んだ ような感覚で不思議な体験をしたのを思い出します。

翌 28 日(金)は、早朝の移動で 6:25 にはホテルのシャトルバスに乗ってオデンセ空港に 向かいました。オデンセ空港では来た時と同じ飛行機が止まっていてその DM300 に乗って コペンハーゲンへ戻りました。小一時間して国際線便の SK625 でコペンハーゲンから ドイツのデュッセルドルフ空港へのフライトに乗りました。1 時間程して デュッセルドルフ空港についてターミナルから出ると次の訪問先の Westfalia が 手配してくれたタクシーの運転手がプラカードを掲げて待っていてくれました。丁重に バッグをトランクへ仕舞って後部座席のドアを開け、車内へ案内されて座席に腰かけると フワッとした感じで足元も広くゆったりしていて非常に乗り心地のよい車でした。車種を 調べるとドイツの高級車である Audi でした。その時は未だ Audi は知らなくてドイツ車と いえばベンツくらいしか知りませんでした。車はドイツのアウトバーンをかなりの高速で 進んでいきました。目的地はエルデ(Oelde)という街でデュッセルドルフから北東に 120km ほど離れたところでした。途中運転手に愛想よく英語で話しかけましたが何も 返事はなく、そうかドイツ人も日本人と同様に英語はそれほど民間には普及していない のだと思いました。あっという間に 1 時間ほどで Westfalia の本社工場に着きました。 その時の乗り心地の良さが気に入り、将来は Audi に乗れるようになりたいと思ったの でした。

昼前から打合せに入り、途中軽い昼食を頂き、その後工場内を案内してもらいました。 Alpha Laval と同様の清浄機の製作は興味があったのでいろいろな質問をしたと 思いますが詳細は覚えていません。担当のエンジニアと技術的な話に盛り上がり、 定時の 17:00 頃に帰りのチャイムが鳴ってもまだ終わらず、そのうちに夕食も 用意していただき、それを食しながらの打合せで最後に終わったのは 20:00 くらいに なってしまいました。ドイツ人は家庭を大事にして残業は世界一少ない国民であるので こんなに遅くまで付き合ってもらった担当の営業とエンジニアには感謝しか ありませんでした。結局営業の方の車でホテル(Muehlenkamp)まで送ってもらいました。 そのホテルはオデンセのホテル以上にこぢんまりとしたアットホーム的なところでした。 次の日の朝食を食堂に食べに行ったら家族で対応して優しくしてくれました。

29 日は土曜日ということで、会社は休みだったのでその日は訪問先はなく初めての 休日となりました。前日に Westfalia の営業の方に翌日は休みで停まるホテルは デュッセルドルフの市内にあると話をしたら、Oelde からデュッセルドルフまで Westfalia の車を手配するということで、有難く午前中にその車で移動をしたのでした。車はベンツ でした。ホテル(Queens Hotel)には早く着いてチェックインまで時間があったので、 大きな荷物を預けてデュッセルドルフの街中観光に出掛けました。ヨーロッパでは 土日は店を閉めているのが大半で街中を歩いたが面白いところはあまりなく、 くたびれもうけでした。

翌日の 30 日も移動日で、ホテルからタクシーでデュッセルドルフ空港へ行き、 ロンドンへのフライト(LH4120)へ乗りました。ロンドンのヒースロー空港へは 13:00 に 到着し、タクシーを使って宿泊先のホテル(The Langham Hilton)へ行きました。
MHI ロンドン事務所の担当の方の計らいでヒルトンホテルを予約していただき、1 泊¥22,000 もしましたが、ここには 2 泊もしました。 チェックイン後、ロンドンの市内をぶらぶらしようと街中に出ました。地下鉄を使って ピカデリーサーカスまで行って土産物屋で土産を買って帰りました。流石にロンドンは 観光地なので日曜日でも土産物屋は開いていました。

それまでにアフリカ出張が幾度とあり、トランジットでロンドンやパリの市内を観光 しました。土産を買うために移動する時は常に地下鉄を利用していました。両方の都市の 地下鉄を使うと結構早く目的地へ安く行けるので、利便性が高くお勧めです。 ロンドンバスに乗ってみたかったけれど、どこに行くかよくわからないのでその当時は 専ら地下鉄でした。後年にはロンドンバスの一日券チケットを使って色々な場所へ 回るようになったのは、進歩の一つでした。使い方やルート地図を読めるようになると 結構バスも使い勝手がよいものです。

5 月 1 日(月)は最後の訪問先の Marley でした。この日も地下鉄を先ず使って、Oxford Circus から St. Parcveans へ行き、British Railways で 1 時間程乗って Market Harborogh という駅まで行くと改札出口に Marley の方が待っていてくれました。地図でみると ロンドンから北へ 60 kmほどの場所にあります。Marley の本社で打合せをして、昼食を 頂きながら談笑していると、Mr. Komiyama の英語は発音がいいねと言ってもらったのが 非常にうれしく記憶に残っています。出張前に会社の英語合宿研修というのに参加して いて発音を気を付けるように言われたことの効果が出たと思いました。また一人旅で 日本語をほとんど話さず、毎日英語で打合せをしていたことで英語脳になっていたの だろうと思いました。

その後、車で 1 時間半ほど移動して工場に行きました。工場見学後に車で最寄りの駅で ある Bristol parkway に送ってもらいました。車での移動中、田舎道でほとんど信号は 無く、周りは黄色い花が咲き誇った(タンポポか菜の花?)田園地帯を通っていき、 非常にきれいな光景が記憶に残っています。(地図で確認するとこの駅はロンドンより 南に 80 km程のところにあり、ロンドン~Market Harborogh~Bristol と三角形のルートを 辿ったような形になっている。)

Bristol parkway 駅では待ってる人は少なく、日本の田舎の駅と同様な感じがしました。 London Paddington 駅まで行き、地下鉄で Oxford circus 駅について、ホテルへ 戻りました。最後のロンドンの夜なので、Soho という街に出かけて English Bar で スコッチウィスキーとステーキ、フィッシュ&チップスの夕食を一人で堪能したのでした。 翌 2 日(火)は、午前中にお世話になった MHI ロンドン事務所に行き、出張中の各社への 訪問・調査状況の報告をしたのでした。昼飯は事務所近くのラーメン店へ連れていって もらい久しぶりのラーメンを食し満足しました。

その後、地下鉄でホテルへ戻り荷物をまとめてホテルをチェックアウトして、タクシーを 使ってヒースロー空港へ行きました。フライトは 19:45 発の JL402 便だったので、 チェックイン後は JAL のラウンジでビール、ウィスキーを飲みながら、今回の弾丸出張を 振り返っていました。飛行機の中でもお酒を頂きながら、映画を観てリラックスして睡眠を 取って成田に着いたのは既に 5 月 3 日の午後 3 時過ぎでした。 成田空港からの帰りは、ターミナルに横づけのリムジンバスに乗り込んで、YCAT まで 行き、そこからタクシーで自宅まで帰りました。その頃は、自宅は重工の金沢工場の 近くの並木社宅に住んでいたので、夕方の帰宅時間にぶつかり渋滞につかまって、結局 自宅に着いた頃には暗くなっていました。

これで 11 日間の 6 か国を巡る弾丸出張は幕切れとなりました。 疲れたというよりも達成感の方が上まわって気分は上々だったことを覚えています。 ちゃんちゃん!

パキスタン JPG ディーゼルエンジンパワープラントの建屋内の眺め エンジンが 24 台横並びとなっている。