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MKPエンジニアリング合同会社

海外出張エピソード《No.3》卵爆発事件! ~米国~

卵爆発事件! ~米国~

米国本土への出張は 2005 年が初めてでした。実は、1986 年にハネムーンで サンフランシスコに行きましたが、仕事では 46 歳で初めて米国の地を踏みました。 その時は、日本の M セメント会社向に KU30GA 機関を売り込みに行き、現地調査も して結構力を入れた案件でした。客先では、ロスアンゼルスの近郊の工場にコジェネを 導入するとプレス発表までして、日本国内でも M セメントのお客様と打合せなどして、 かなり有望な案件でした。

先ずは本件の入札用資料作成のために 1 月下旬からカナダのバンクーバーへ行き、 MC(三菱商事)カナダで内部打合せをして方針を決めました。バンクーバーには6日間居ましたが、仕事もさることながらプライベートの生活は充実していました。 ホテルは Pan Pacific Hotel でバンクーバー港に面していて、部屋からの眺望は絶好の 景色でした。

休日の日曜日には MC の担当のカナダ人が所有しているクルーザーに乗せてもらい、 バンクーバー港に繋がる川の上流からホテル近くまで 1 時間程クルージングして バンクーバーの自然を存分に味わうことができました。1 月で気候は結構寒かったという 感じでしたが、バンクーバー市街を軽くジョギングしたり、近くの YMCA という スポーツクラブに出掛け、筋トレや温水プールで泳いだりと十分に満喫した生活でした。 夕食にはそのカナダ人のお勧めの店であるステーキハウスや生牡蠣を食べられる洒落た レストランに連れていってもらったりしました。 その後バンクーバーからロサンゼルスへ移動して、入札資料の作成・取りまとめと 忙しい日々を過ごしました。途中、徹夜をして資料作りをしたりしてハードでしたが、 入札締切の 1 月 31 日には期限通り提出ができて達成感を味わいました。 ロサンゼルスには 8 日間滞在していましたが、こちらでも忙しい中でもプライベートは しっかりと活動しました。ホテルの近くに牛丼の吉野家があり何回か行きました。日本 よりも割高な金額でしたが、懐かしい味を堪能できて満足しました。店は黒人が大勢居て 若干の怖い感じはありましたが、味は日本のものと同じで安心しました。

休日にはホテルのフィットネスクラブで筋トレやプールで泳いだり、ロサンゼルスの 市街地をジョギングしてホテルからドジャーススタジアムまで約 10 km走りました。 帰ってくる時に大きな通りに出ると全く車が無く、歩行者天国なのかなと思っていたら いきなり 2 台の車が凄いスピードで通り過ぎていきました。ヨクヨク見ると後ろの車には カメラを構えた人が居て、映画か何かの撮影だと気付きました。流石アメリカは大都会の 道路を通行止めして映画の撮影をするとは凄いと感じました。入札も終わり、2 月の上旬 には帰国したのでした。

その後、2 週間ほどして、Mセメント案件の入札に対するクラリフィケーション会議が ラスベガスで行われるということで、ラスベガスへ意気揚々と出かけました。成田発の JAL 便で夕刻に発ってロサンゼルスに前日の朝(日本との時差は-16 時間)に到着 しました。ロサンゼルスからラスベガスへは国内便を使って移動するのですが、 その時はロス空港で 6 時間程待ち時間があり、その間にアメリカの脱硝装置メーカーと 空港内で打合せをしたり、昼食を摂ったりして時間を過ごしました。

ラスベガスには夕方着いたのですが、空港からホテル(Treasure Land Hotel)へ 着いた時には既に暗くなっていました。タクシーに乗って空港からホテルに行く間、 ラスベガスの街中に入っていくと、様々なネオンや面白い建物やミニ自由の女神像などを 照らし出す光の演出などがあり、その明るさと煌びやかな雰囲気に圧倒されました。 これがあのラスベガスかと感嘆しました。ホテルの手前には池とちょっとしたスペースが あり、そこでショーやコンサートが開催されるそうで、池には噴水がありある時間になる とライトショーがあり、ホテルの部屋から見下ろして華麗なショーも堪能できました。 後にこのホテルの高層階の部屋からコンサート中の観客にライフル銃で射撃をして多数の 人が犠牲になったという痛ましい事件が起こりました。

ホテルの1Fにはカジノがあり、物凄い数のルーレットとスロットマシンで大勢の人が 遊んでいて、大きな音と喧騒に圧倒されました。結局遊びませんでしたが、賭け事が 大好きな IK 氏がきたら身を滅ぼしてしまうのではないかと思いました。

一晩寝て翌日の早朝に、出張で行った先でよくやるジョギングをラスベガスでも 行いました。早朝のラスベガスの街中は夜とは全く違う姿で、夜見るとネオンギラギラで 妖艶な店の看板や広告が、しらけた感じの単なるボードに見えていました。車も人も ほんの少しで違った風景のラスベガスが記憶に残りました。

このホテルには 2 泊しましたが、3 日目の朝チェックアウト時に宿泊費の精算をすると 1 泊目と 2 泊目で金額が異なっていて、2 泊目は 1 泊目の 2 倍以上になっていました。 よくよく聞くと、2 泊目は weekend 料金で高くなっているとのことでした。1 日目は 木曜日で 2 日目は金曜日だったので、なるほどと納得したものでした。

このMセメント案件は結果的には、見積額が高く客先の評価ではコジェネを導入する メリットが出ないということで残念ながらお流れになってしまいました。

その後、米国に行ったのは、2009 年になります。久しぶりの米国でしたが、事件は その時に起こりました! それは、ブラジルへ向かうために乗ったJALの機内だと思われます。その頃は JAL の 航空機が、ニューヨーク経由でサンパウロまで飛んでいました。当時は個人携帯を 持ってはいましたが、海外からの通話は出来なかったので、会社(営業)の携帯を 借りていきました。

海外出張では、成田で JAL のラウンジで飲食できるのが楽しみのひとつ。その時も いつもの通りラウンジに入って、先ず生ビールで喉を潤しサラダバー・カレーライスなどを 食べてから、サントリーウィスキーの響をオンザロックで2杯ほど飲んでから、ほろ酔い 気分で JAL の搭乗口に向かいました。昔、ラウンジで飲み過ぎて、搭乗時間間際になって 慌てて行き、館内放送されたことがありました(その時は焦った!f^_^;)ので、少し 余裕を持っていきました。 無事シートに座り、機内アナウンスに従って、携帯電話の電源を落とし、出張用手提げ ポーチに仕舞ったのでした。一安心したところで、まずはシャンパンを頂きました。 その時はビジネスクラスだったので搭乗サービスでオレンジジュースまたはシャンパンを 出してくれました。当然のことながら、スチュワーデスに言ってシャンパンをチョイス しました。離陸してからは、リラックスして、スリッパに履き替え、映画や音楽を 楽しみました。機内食が出てくると、普段はあまり飲まないワインなんか飲んだりして、 ちょっとリッチな旅気分でした。食事後は、軽いつまみを摂りながら日本酒やウィスキーを 頼んで飲んだりしているうちに眠くなってシートを倒して一寝入りしました。 ニューヨークの空港に到着すると、同じ機体でサンパウロへ向かうのですが、機内清掃の ため乗客は荷物を持って一旦降ろされました。2時間程度だったので空港の外へは出ずに、 また JAL のラウンジに入りました。そこで、手提げポーチに納めた(はずの)携帯を徐に 取り出しチェックしようとバッグの中をみると携帯がないではないですか。バッグの中の ものを全部取り出して広げてみても見当たりません。確かに成田で搭乗してから電源を切ったことは記憶にあったので、多分機内に落としてしまったのだろうと思い、ラウンジの 受付に今機内清掃をしているシートの周辺に携帯が落ちていないか調べてもらうように お願いしました。 しばらくすると、その受付から携帯は見当たりませんとの報告がありましたが、絶対に 機内にあるはずだと思い、もしかしたら清掃のアメリカ人がちょろまかしたんじゃないか と思い、同行していた営業のK氏にその携帯へ電話してもらいました。ちょろまかした奴が 電源を入れれば、判るだろうと思いましたが、当然の如く、「現在電話の届かない場所に いるか、電源が入っていません」 という応答でした。何度やってもらっても同じ応答 だったので、清掃が終わってまた搭乗してから、自分のシート周りを這いつくばって 探しましたが結局見当たらず。 そのままブラジルへ行き(結構ブルーな気分で)、翌日K氏とも相談して別の営業の携帯を MHI のサンパウロ事務所へ郵送してもらうこととしました。横浜へ紛失したことを報告 すると、酔っ払って無くしただろうとの批判や営業女史のクレームがK氏経由できました。 確か帰ってきてから、MHI ゴールドカードに付いている保険で処置したように思います。 その後は、事あるごとに携帯紛失事件が酒の肴になるのでした!

その次に米国へきたのは、ブラジルで Hexagonal 関連(ガスエンジン 28 台の大型 プラントの商談)の打合せ後に日本に帰国する前に、UCF(University of Central Florida)の 案件について MPSA(当時)(Mitsubishi Power Systems America)と打合せを行うために、 オーランドへ行った時でした。その時は、電気のI氏が同行していて、ブラジルから 米国まで珍道中でした。 オーランドは御既承のとおり、ディズニーランドやユニバーサルスタジオがある場所で、 日曜日は折角の機会ということで、レンタカーを借りて出かけることにしました。O氏、 S氏も居ましたが二人はゴルフをするということで、I氏と二人でドライブすることと なりました。中年のオジサン二人の珍道中は、私が運転し、I氏がナビということ(O氏の 携帯のカーナビを借用)でしたが、ナビのお蔭で同じ道を何度も通ったりしました。 ディズニーランドでは、I氏に写真を撮ってもらう時は、外人の美人の隣に近づいて撮って もらったりしました。(笑)ドライブしてビーチへ行こうということとなり、1時間以上 かけて高速で、とある有名なビーチ(デイトナビーチ)へ行きました。二人して目の保養 などと考えてビーチを車で移動して、景色のよい(?) 場所に車を止めて、背景に保養と なるのを入れて写真を撮るのでした。(f^o^;)

ある日、I氏が「歯が欠けた」と申し出ました。ブラジルでシュラスコを食べ過ぎたのでは ないかと言ってやると、もう歳だよと言いつつ、事務所の近くの歯医者へ行きました。 その日は平日にて事務所で仕事をしていましたが、I氏は昼過ぎても事務所にきません。 S氏と心配していましたが、I氏は午後になって漸く事務所にきました。話を聞くと、その歯医者は結構混んでいたみたいで、待っている間、看護婦さんと世間話をしていて 面白かったというではないですか。その看護婦さんにも子供が居て、I氏も女の子の親と いうことで、話が盛り上がったとのこと。その後、治療してから、ホテルで一休みをして いたと。こっちの心配をよそに何ということか!でもI氏は憎めない性格の持ち主で、 得をしていると思います。

MPSA の事務所から歩いて数分のところにある Hampton Inn というホテルに泊まって いました。近くにはスーパーやレストラン、歯医者や床屋、映画館など様々な店が寄り 集まったモールみたいなところがありました。道路はきれいに清掃されていて、街路樹が 生繁っていました。結構田舎な感じで、早朝のジョギングは朝日を浴びながら気分爽快で 走りました。たまに街路樹からリスが降りてきて、並走したりしました。

いろいろな外国へ出張してジョギングしましたが、このコースが一番よかった。以前走った 国では、バングラデシュで走った時は、家の門前に座って居る人が、興味深げに 何でこの 日本人は走っているのだろうと 腹をすかしたような目でみていました。また、この暑い中 よく走るな とも思っていたのかもしれない。パキスタンでは、男同士が手をつないで 歩いているような場所で、排気ガスで息苦しいくらいになりつつ走りました。ある時、 ノースリーブのシャツでいたら、パキスタン人が近寄ってきて、肩から上腕部分を撫でる ではないですか。ゾ~というムシズが走ったことがありました。ケニアのモンバサでは 海岸沿いのコースはまあまあでした。ジャカルタは道がゴツゴツで走り難かった。韓国は 寒かった。ブラジルでは、歌で有名なコパカバーナ海岸を走りましたが、コースが整備され ていて、多くの老若男女がジョギングや散歩、サイクリングなどをして居ました。 そんな中でオーランドのジョギングは最高でした。

Hampton Inn は、日本では田舎の民宿みたいな感じで、入ってすぐ左に受付があり、 右側がロビー兼カフェみたいになっていて、朝食はそこで食べました。建屋は3階建てで、 エレベータが2つあり、ゆっくり動くエレベータでした。

ある日、朝食を食べに降りてきたら、I氏が先にテーブルについて朝食を食べていました。 米国の朝食は質素な感じで、皿は紙、スプーン・フォークはすべてプラスチックで、 使い捨てのものでした。アメリカンブレックファーストというと、パンにコーヒーに ハムエッグというのが定番だと思いますが、そこのホテルの朝食はバイキングですが、 揃っているものは、ベーコン、スクランブルエッグなどに数種類のパンと自分で選ぶ コーヒー(エスプレッソ、アメリカン、カプチーノなど)くらいでした。その他にゆで卵が あって、いつも冷たい容器に入っていたものを食べていました。そうそう。果物などの 食後のデザートもありました。

その日は、寝ぼけまなこな感じで、いつも冷たいと感じていたゆで卵を手に取ると、 近くにあった電子レンジが目に入り、温めて食べようと思い、チンをしました。一揃い 食材をそろえて、レンジから卵を取り出して、I氏の対面の席に座りました。 そして、食べ始めようとフォークで卵を刺したその瞬間、温めた卵が爆発して周囲に 飛び散ってしまったではないですか。対面のI氏の頭には黄身の部分が乗っかっていて、 肩には白身など、舞台で役者が紙吹雪を被ったような感じで、ゆで卵の飛び散った破片を 頭から被っていました!これには、眠気も吹っ飛び、悪かったという気持ちよりも、 その滑稽な姿を見て笑い転げてしまいました。 当然、周囲の床マットにも飛び散っていたので、それを拾っていると、直前に朝食を終えて 部屋に戻ろうとしていたO氏が何事かと思い、戻ってきてI氏をみて、O氏も大笑い。 一緒に掃除を手伝ってくれました。周りの米国人も呆気にとられていました。 そして、翌朝に朝食を摂りに行くと、電子レンジに何やら張り紙がしてあり、”Do not microwave boiled egg!”とあったのでした! 2010 年 6 月のことでした。