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MKPエンジニアリング合同会社

海外出張エピソード《No.8》あわや、知らない土地へ!? ~ブラジル~

あわや、知らない土地へ!? ~ブラジル~

日本の裏側に位置する遠い国ブラジル・・・自分が訪れる事になるとは思っても みませんでした。そんなところに、ブラジルでガスエンジンを用いた IPP(154MW)の 計画があると商社の M 社から話がきて、その打合せに出張することとなりました。 最初は、フランスの MEEF(Mitsubishi Equipment Europe France)でアフリカ案件の 打合せをしてから、その足でヨーロッパからブラジルへ渡りました。一人で ブラジル(サンパウロ)入りし、営業と合流しました。2009 年 2 月の 50 歳の時でした。 客先のコンサルタントにプレゼンをしたところ、それが功を奏したのか、とんとん拍子に 話が進み、3 月にコンサルが来日して打合せを行い、4 月にはコンサルから呼ばれ、 打合せに赴き、L/I(Letter of Intent)(*)を入手しました。(*)L/I とは、客先から購入の意思を示す書簡のようなもの

帰国してから金沢会館(会社の飲みができる施設)へいくと、関係部署の人からもよくやった!と言われ、あちこちで乾杯をして、一躍ヒーローみたいになりました。 HEXAGONAL 案件と言い、この時からブラジル通いが始まりました。

本件およびその後の拡販のためにブラジルへは計 10 回出張しました。旅行代理店の 人によるとブラジルへの航空運賃は往復で購入するより世界一周チケットを購入した方が 安いということでいつもこの世界一周チケットで出張しました。ただし、このチケットには 条件があり、目的地以外に他の場所へも滞在する必要がありました。ゆえに大体ブラジル 以外にアメリカやヨーロッパやエジプトに用事を付けて出張しました。このチケットの さらに良いところは、ブラジルで仕事をしてアメリカへ飛んで仕事をしてまたブラジルへ 戻って仕事をしても金額は一緒だった点があります。このような出張を1回したので、 世界一周をしたのは計 9 回でした。ちなみに、米経由の東廻りが 2 回、欧州経由の 西廻りが 7 回でした。

トランジット(飛行機の乗り継ぎ)では空港内で過ごすことが多かったのですが、 おかげ様でワンワールド(JAL 系列の航空会社のグループ)のマイレージが貯まった ことで、カードはダイヤモンドとなりファーストクラスラウンジなどを使用することが できました。ラウンジでは飲み放題、食べ放題なので、結構快適に過ごすことができました。

ある時、成田空港のファーストラウンジに一人で居たら、かのカリスマ経営者である 稲盛和夫氏が隣のソファーに来ました。当時は JAL の社長をしていて、取り巻きの人達が 数名居て世話をしている様子でした。偉ぶる様子もなく、人柄のよさそうな年配者 という感じでしたが、とても凄いオーラが感じられました。

ブラジルでの仕事について話をすると、コンサルの事務所がリオデジャネイロにあった ので、専らサンパウロとリオでの打合せが多くありました。最初は治安が悪いという情報が あったので警戒心を強くもって行動していました。移動は専ら商社またはMHIの ブラジル支社が手配してくれた車で移動しました。MHI支社の車は三菱グランディスと いう 7 人乗りのワゴンでしたが、ガラスは防弾仕様でドアも特注でずっしりと重く、 銃撃されても対応できるというもので非常に驚きました。日本人は金を持っていると 思われるため襲撃に備えるようにしているとのことでした。

サンパウロでの生活は快適でした。大体同じホテルでしたが、近くのスーパーで 缶ビールをまとめ買いしたり、チリ製ワインを飲んだりしていました。一度一緒に行った I氏は、運悪く、シャワーが赤水でしかも冷水しか出ない部屋に当たりクレームして 部屋を代わったりしていました。

食事はやはり肉系が主ですが、豆と豚肉・牛肉を煮込んだフェジョアーダという料理が 有名とのことで食べましたが、まあまあでした。昼飯はレストランのバイキングスタイルで、 このフェジョアーダやサラダ、色々な肉料理を取ってレジにいきプレートをスケール(秤) に載せて重量を測るという重量ベースの料金払いでした。ラテン系らしい大雑把なところ です。

夕食では、接待などの時には、シュラスコ料理店を利用しました。シュラスコとは、牛肉や豚肉・鶏肉などを鉄串にさして荒塩をふって焼く料理ですが、テーブルのところに座ると、 手元に丸い札が置いてあり片面が赤、他面が緑となっていて、食べたい時は緑を上にして おいておく。そうすると、大きな鉄串にささった肉を持ったウェイターたちがひっきり なしに近づいてきて、どうだ?食べるか?みたいに言って、こちらがOKというと大きな 肉の塊から大きな包丁で削ぎ落として皿に置いてくれるのでした。

中でも一番人気がピッカーニャという牛肉で、柔らかくて、非常に美味でありお勧めです。 少し一休みする時や、満腹になってこれ以上は無理という状態の時は、赤を上にすると、 ウェイターは勧めることもなく、通り過ぎるというシステムでした。結構良いシステムだな と感心しました。

この肉料理と一緒に飲むのは、有名なカイピリーニャという飲み物です。これは、 サトウキビから作るアルコール(カサッシャと呼ぶ)をベースにライムジュースと砂糖を 混ぜてカクテルとしたもので、通常のウィスキーグラスに氷とライムの実を入れたもので、 なかなか美味しい味です。ただし、アルコール度数は 25 度以上(たまに 40 度)と 強いので、飲み過ぎるとかなり酔いが回るので要注意!

その他には、ムケカという料理が非常に美味かったです。それは、エビや魚介類、玉ねぎ、 トマトなどを煮込んでオリーブオイルやココナツオイルで味付けしたブラジルの シチューとのこと。これはお勧めで、是非一度トライしてみてください。

サンパウロには、日系 2 世、3 世が多く住んでいるというリベルダージという街があり、 そこには、ラーメン店や居酒屋などがありよく通ったものでした。ある時牛丼チェーン店の すき家のブラジル2号店ができたということで、一人で食べに行きました。味は日本と ほぼ同じで、値段もほぼ同じでしたが、現地の人にとっては高いだろうと思いましたが、 結構人が入っていました。

リベルダージの飲み屋にいくと、ほとんどが日本人で日本の唄が飛び交っていました。 ある晩、タクシーを使って飲み屋に行くとパトカーが止まっていて警官が数名いました。 何やら物々しい気配で、近くにいる人に聞いてみたら、30 分前に隣の飲み屋で発砲事件が あったとのこと。金の貸し借りの問題だったようで、ちょっと時間がずれていたら 巻き込まれていたかもしれないと思うと、改めて危険なところなのだと思いましたが、 折角タクシーできたのだからといつも通りに飲んでタクシーで帰ったのでした。

サンパウロはブラジルで一番の商業都市で大都会です。事務所の近くには、パウリスタ 大通りがあり、これは片側四車線もあり、東京の銀座みたいな感じで平日でも人通りは いっぱいで観光客も大勢居ました。

通りを闊歩する女性は、みなタイトな服を着ていて、前評判とおりでした。 ボン・キュ・バンという感じでついつい目線がオヤジになっていました。

サンパウロにも慣れてきていたある日、一人で昼食を食べにいき、いつも通り満腹感に 浸りながらパウリスタ大通りに出ました。信号が点滅しているときに渡り始めたので、 直ぐに赤信号となり、通りの中央分離帯のところで一旦立ち止まりました。 その日は天気がよく、風も吹いていなくて、太陽の日差しもそれほど強くなく、いい天気 だなぁと思って空を見ていたら、いきなり左耳にボソッと音がして、それから左耳が 聞こえづらくなってしまいました。

あれっと思って、左手の指で耳穴をほじってみたが何の変化も無し。口を大きく開け閉め してみても変化なし。暫くすると、耳の中でゴソッゴソッという感じで音がして、 何かの虫が入ったと直感しました。プールから出てきてから耳の中の水を出すように 左耳を下に傾け、ケンケンをしたが全然ダメ。

事務所に戻っても、暫く静かだと思っていると、またゴソッゴソッという音が不定期に 起こりました。耳の中で虫ももがいているんだろうなと思ったりしていましたが、 如何せんその状態はマズイと思い、午後の打合せの時間を遅らせてもらうこととしました。 一緒に仕事をしていたMCB(M 商事ブラジル)のルシア女史(昔は美人だったろうと 思わせるような 60 歳以上の熟女)に電話し、事情を説明したら、一緒に病院へ連れて いってくれました。

待合室で待たされること数十分してから、診察してもらうと、若い男の医師が、耳に水を 注入して暫く経って水を抜き、ピンセットのようなもので、私の左耳への侵入者を 引きずり出してくれました。見せてもらったら、蚊よりも大きく、脚が長く、羽が大きな 虫の残骸がありました。医師はもう一度、私の耳に水を入れて洗浄してから水を抜いて、 布で拭いてくれたら、Finish, No problem と言って解放してくれました。 私は、Obrigado(ポルトガル語のありがとう)と言って診察室を出ました。診察代はほんの 10 分程度で、220 レアル(当時の換算レートで約 11,000 円)掛かりました。これは、 帰国してから MHI カードの保険申請したのでした。

リオデジャネイロは、長期滞在はなかったのですが、サンパウロを拠点として 2,3 泊と いう国内出張みたいな感じで行きました。ホテルは、かの有名なコパカバーナ海岸に 面している観光客が止まるようなところで非常によい感じでした。屋上にはプールがあり、 観光気分に浸れたこともありました。

朝は、コパカバーナ海岸に沿って造られたジョギングコースを走りました。ジョギング する人、散歩する人、自転車で走る人など老若男女大勢の人が早朝のすがすがしい空気の 中で楽しく過ごしていました。昼になると海辺には、日光浴する人、ビーチバレーする人 などが繰り出していました。それにしても、女性の水着は皆ビキニで、面積が非常に小さく、 お尻はTバックで丸見えというもの。若い人だけでなく、熟年の方も同じ格好で寝そべって いました。日本ではありえない風景でした。それでもトップレスの女性はいませんでした。

昔、セネガルへ行った際、パリから乗ったエールフランス航空の機内でサービスをして くれたキャビンアテンダントが、たまたま同じホテルになり、プールサイドで寝ていたら、 そのキャビンアテンダントたちが、トップレスで歩いていたという恩恵にあったことが ありました。一緒に行った A 氏もサングラス越しににやけて見ていました。

2012 年の 2 月には、ブラジル市場の拡販ということで、いろいろな場所を回りました。 アマゾンのあるマナウス、2014 年のワールドカップサッカーの会場があるレシフェ、 昔の首都だったサルバドールなど。以下の写真はサルバドールの街中。

ブラジル内を移動するだけでも大変で、一日掛かってしまったりしました。2 月は ちょうどカーニバルの時期で、リオでは本番の一週間前に本会場にてリハーサルを行うと いうので夜のバスツアーに一人で申し込んで観戦に行きました。リハーサルということで、 衣装は普通のTシャツでしたが、雰囲気は十分味わえました。

レシフェでは、リオより早めにカーニバルが始まったということで、夜に MCB のルシア女史に連れていってもらって、間近で見ることができました。迫力満点で、 滅多に見られないものを見れてよかったです。


マナウスでは、雄大なアマゾン川を見て感動しました。支流の川は、白い色の川と 黒い色の川があって、マナウス近傍で合流するが、しばらくは混ざり合わず平行して 流れる様を飛行機から見て、こちらも感動ものでした。

マナウス動物園で見たタランチュラ

ブラジルでは、英語は町中では通じないので一人での移動は止めたほうがよいと 言われていましたが、ある時、慣れてきたこともあり、一人でサンパウロから南西の 都市であるポルトアレグレへ打合せに行くこととなりました。

国内線でしたが、流石にサンパウロ空港のチェックインカウンターは、英語が通じて、 問題なくチェックインできました。搭乗券を手にして、手荷物検査を受け、搭乗口ロビーに 出て券に書かれていた搭乗ゲート近くにいき、椅子に座って時間をつぶしていました。 しばらくすると、搭乗ゲートが開いて乗客が順番にゲートを通って飛行機内に入って いきました。私も列に並んで、ゲート入口で券をチェックしている係員に見せて、 飛行機内に入っていきました。

機内に入っていくと既に座っている乗客はまばらでしたが、搭乗券に書かれた私の シートNO.に座っている人がいるではないですか。 「すみませんが、そこは私の席です」と言うと、座っている人も否、搭乗券に書かれている シートNO.に間違いはないと言って搭乗券を見せてくれました。 見てみると、同じNO.だったので、ダブルブッキングされたんだと思い、その隣の席に 座っていました。海外の航空会社はダブルブッキングはよくありそうなことだなと 感じながら、しばらく経ってその隣の人に、「もしかしたら、あなたは別の飛行機に乗った んじゃないか」と言って、搭乗券を見せてもらったら、案の定フライトNO.が違っていま した。それをみて、私は笑って、あなたは飛行機を間違えているので、直ぐに正規の飛行機 に行ったほうがよいよと助言してあげました。そしたら、その人は、あなたこそ飛行機を 間違えているよと言うではないですか。

そのやりとりをしていたら、係員が飛んできて、Mr. Komiyama、あなたは違う飛行機に 乗っているので、直ぐに乗り換えてくださいというではないですか!! ゲートのNo.を確認 しており、入口でチェックしてもらったにも拘らず、そのような事態になったのが 判ったのは、飛行機を出てゲートの案内板に表示されたフライト No.を確認した時でした。 持っている搭乗券に記載されている搭乗ゲートに間違いはありませんでしたが、フライト No.は全然違っていました。 係員に先導してもらい、下の階のゲートへ走っていき、そのゲート入口の表示されているフライト No.が搭乗券に記載のものと同じで、なんとか間に合って、予定通りのフライトに 乗れたのでした。焦った!へたすると、まったく違う場所へ飛んでいくところでした。 ブラジルでは、ゲートがちょくちょく変更されるということでした。 日本では考えられないことでした。

今となっては、全てが懐かしい思い出となっています。
また、ブラジルへ行ってみたいと想っています。

2015年3月1日はリオが誕生して450年。
右がキリストの像(Cristo redentor)、左がさとうパンの山(Pão de Açúcar)