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MKPエンジニアリング合同会社

強行遠足メモリー

我が母校の甲府第一高等学校は伝統行事として‘強行遠足’という一昼夜掛けて甲府から長野県の小諸まで歩くという鍛練がある。
この行事は前身の甲府中学校の時代からあり、過去には甲府から東京方面や長野・新潟方面に向かうルートが設定された時期があった。我々の時は、一高のグラウンドを昼に出発して八ヶ岳ルートで小諸市役所に翌日の 12:00 までにゴールするという設定であった。距離としては、全長 106km でした。 (ただし、2,3 年時は 105km)

甲府を出発して、途中 17 か所の救護所を経て最終的に小諸に着くというルートです。


各救護所では、OB&OG、父兄、先生、地元の人などが、着いた生徒にお茶やおにぎり、味噌汁などを出してくれました。少し休息してから意を決してそこから次の救護所へ向かって出ていくのでした。
中でも印象的なのが以下のことです 。
韮崎から若神子へいく途中で日が暮れて暗くなり、懐中電灯を点けながら歩くこととなり、雰囲気がガラッと変わりました。
また、途中には清里や野辺山という観光地もあり光景が変化していた。 (暗かったけど)
野辺山の救護所に着くと鉄道の最高地点でもあり、漸く半分の距離に来たという思いを抱いていました。
臼田の救護所では有名なおばちゃんが居てリンゴを貰い美味しく食べて元気を注入してから出発するのでした。
終盤の場面では日の上がった時間に千曲川を横目に見ながら街道をテクテクと歩いていると街道を通り過ぎる車の方から頑張れという応援をもらいながら、気を振り絞って小諸目指して歩いていきました。
最後に小諸市役所が見えた時は感動してゴールしました。

各学年の時の強行遠足の記録(スタンプ押印)とゴールした記念のバッジを添付します。

【 ゴール記念のバッジ 】

記録を整理したデータを「強行遠足記録」として添付します。

整理したデータを見て以下のことを思い出しています。
・1 年の時は、興味深々で参加して、みんなと和気あいあいとしゃべりながら歩いて行きました。終盤では速度も落ちてきて、へばっていたのが解ります 。
・2 年の時は、1 年の時とは違い、意気揚々として最初から突っ込んで歩いていったのですが、初めの頑張り過ぎが祟り、途中で体の具合が悪くなり、清里までで相当遅くなりました。市場の救護所では疲れて暫く仮眠して 2 時間以上休んでいました。
そのお蔭もあり、体力が回復してそれから挽回の歩きでした。ただし、市場を出たのは朝の 4:00 過ぎだったので、途中の救護所に着く時間によっては制限時間を過ぎるとそこから前に進めないこともあり、頑張って歩いていきました。
最後の救護所である三岡についたのが、10:44 ということで、そこの前進停止時刻の11:00 にぎりであったのが判ります 。そして小諸には 11:37 と制限時刻の 12:00 前に滑り込みセーフという感じでした。この時のゴール時に会った友人がびっくりしていたのが印象に残っています 。
・3 年の時は、前年の反省を踏まえ、マイペースで歩くようにしました。記録を見ると1 年のペースに近い状況でした。最後の三岡から小諸までは、これで強行遠足も最後という感慨もあり、結構走ったり歩いたりのペースで、結果は時速 9.2km/h という早いものでした。記録も 10:13 着ということで、3 年間で最も早い時刻でゴールして有終の美を飾ることができました。
以上、3 年間で 3 回小諸到達完走が出来たのは、自分の中に負けん気があったからであろうと感じています。
非常によい思い出です。

【 3 年時の出発前の記念写真 】
【 1 年時の記録 】
【 2 年時の記録 】
【 3 年時の記録 】
【 女子からもらったお守り 】
(1 つは姉から 2 つは誰からもらったか覚えていない)